ちょっと書き留めておきたいなあと思う事がありました。
人にはそれぞれ個性があり、嗜好があり、価値観があり、人間関係における距離感、接し方など
本当に人の数だけの美徳とする視点があるかと思います。
先日、私と同じ考えを話す人を見て、思わず洗濯物を畳む手を止めてテレビに前のめりになりました。100%共感出来る内容でした。
私は格闘技はあまり知らなくて、この方も今まで存じ上げませんでした。
格闘家で実業家の朝倉未来さん。
この方が、私が毎年元旦に目標と掲げている「本物の自分をまっすぐに生きる」人のようでした。
自己が確立されていて、その人間性に惹きつけられました。もちろんこの方の一部分だけを知ったに過ぎず、全てを決めつけるようなそんな傲慢な事を言うつもりはありません。
朝倉未来さんは
『自分を肯定して自分に自信がありますから、人に同調する必要も無いし、人に意見を求める必要も無いんです。』というような事を話されていました。
『人にどう思われているかを気にし過ぎる人は自分は苦手です。』みたいな事もおっしゃっていました。実に冷静に理性的にご自身の見解を述べていました。
私も同じ意見、考えです。人の評価を気にし過ぎている人は本音本心がわからないので
信頼関係を築くのが難しい、と私は思ってしまいます。
自分に主体性があれば、全ての意見に同調し迎合する事なんて不可能だと思うんですけどね。
迎合は自分自身を守る手段に過ぎないのでは、と私は思います。
人に気を遣う、という行為も、
それは誰の為に気を遣っているのか、
自分の為の気遣いか、、、
相手の為の気遣いか、、、
と二つあるかなあ、と私は思っていて、、
まあ、ごちゃごちゃ深い話になってしまうので、ここでは書きませんが・・笑
今回朝倉未来さんのお話の内容を端的にまとめて言うと、『私は自分軸で生きています。』という事。そこに、私は多大な共感を覚えた、という事です。
自分軸で生きる人は、周りの人の事を構わない。ああした方が良いんじゃない?
こうした方が良いんじゃないの?と言わない。それは冷たいんじゃなくて、
常にフォーカスは自分自身だから。(自分の短所や闇の部分も逃げずに直視する内観力)
私は正直な話、随分と長い年数、理想の自分像というものを人前で実現しようと必死でした。
若い頃は人に喜ばれる事で自分の存在を感じるような、そんな人でした。
おまけにどんなに大変でも、その苦しさに酔ってさえいたかも知れない、と今振り返れば、そう思います。どんな頼み事も引き受け、承認欲求を満たす、、、そんな人(私)の最後は、心が疲弊し、燃え尽きる。
最近読んだ心理学の本に(只今私の中で絶賛心理学ドはまり中)
”自己犠牲的献身は強い依存心と表裏一体”(ドイツの哲学者エーリヒ フロム) と書いてあり、
たとえ過去の話とは言え、、ひゃぁーーーーと痛い耳を思わず押さえてしまいました。💦
自分軸で人生を生きて、人生の意味を豊かなものにしようと歩を進めだしたら、
色々と私の考えも変わって来ました。
人を喜ばせる事より、人が嫌がる事をしない、という方が思いやりの度合いが強いかなあ、とか。
とにかく自分発信の、能動的な行為にフォーカスがいくので、内観が習慣づく。
人にああ言われた、こう言われたにはフォーカスが行かない。他人軸ではもうないので。
人は人、自分は自分という境界にうまく線がひけるようになってきたのかも知れません。
不思議なもので、そう生きるようになってなぜか、
人を見抜く力、状況を読み取る力が上がったような気がします。
善悪のジャッジをしなくなって、物事を客観視するその視点が今までより高い位置に行ったからかなあ。。
体幹っていう言葉ありますよね。体を支える中心部。ここを鍛えて、姿勢を保ち、バランスを取るって。それのメンタルバージョンが、きっと心の体幹という意味で自分軸ですね。
朝倉未来さんのように、私と同じ考えの人がいるって、とても励みになったし、
今後も、自分の存在を磨く努力を謙虚に継続していきたいというような心境になりました。
欠点だらけの60点もあるかないかの私ですが、、、
この世にたった一人の私ですから。何点でも価値はあります。
こう書いて自己承認が出来るようになった自分を思うと、いつも頭に浮かぶ言葉。
「人は変われないは嘘。変われる。」
相変わらず支離滅裂な文面を
最後まで貴重な時間を割いてお読み下さり、ありがとうございました。
みなさまの毎日が幸せに過ぎてゆきますように・・・
バンクーバーの不動産に関するご相談は依田敦子までご連絡ください。
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人にはそれぞれ個性があり、嗜好があり、価値観があり、人間関係における距離感、接し方など
本当に人の数だけの美徳とする視点があるかと思います。
先日、私と同じ考えを話す人を見て、思わず洗濯物を畳む手を止めてテレビに前のめりになりました。100%共感出来る内容でした。
私は格闘技はあまり知らなくて、この方も今まで存じ上げませんでした。
格闘家で実業家の朝倉未来さん。
この方が、私が毎年元旦に目標と掲げている「本物の自分をまっすぐに生きる」人のようでした。
自己が確立されていて、その人間性に惹きつけられました。もちろんこの方の一部分だけを知ったに過ぎず、全てを決めつけるようなそんな傲慢な事を言うつもりはありません。
朝倉未来さんは
『自分を肯定して自分に自信がありますから、人に同調する必要も無いし、人に意見を求める必要も無いんです。』というような事を話されていました。
『人にどう思われているかを気にし過ぎる人は自分は苦手です。』みたいな事もおっしゃっていました。実に冷静に理性的にご自身の見解を述べていました。
私も同じ意見、考えです。人の評価を気にし過ぎている人は本音本心がわからないので
信頼関係を築くのが難しい、と私は思ってしまいます。
自分に主体性があれば、全ての意見に同調し迎合する事なんて不可能だと思うんですけどね。
迎合は自分自身を守る手段に過ぎないのでは、と私は思います。
人に気を遣う、という行為も、
それは誰の為に気を遣っているのか、
自分の為の気遣いか、、、
相手の為の気遣いか、、、
と二つあるかなあ、と私は思っていて、、
まあ、ごちゃごちゃ深い話になってしまうので、ここでは書きませんが・・笑
今回朝倉未来さんのお話の内容を端的にまとめて言うと、『私は自分軸で生きています。』という事。そこに、私は多大な共感を覚えた、という事です。
自分軸で生きる人は、周りの人の事を構わない。ああした方が良いんじゃない?
こうした方が良いんじゃないの?と言わない。それは冷たいんじゃなくて、
常にフォーカスは自分自身だから。(自分の短所や闇の部分も逃げずに直視する内観力)
私は正直な話、随分と長い年数、理想の自分像というものを人前で実現しようと必死でした。
若い頃は人に喜ばれる事で自分の存在を感じるような、そんな人でした。
おまけにどんなに大変でも、その苦しさに酔ってさえいたかも知れない、と今振り返れば、そう思います。どんな頼み事も引き受け、承認欲求を満たす、、、そんな人(私)の最後は、心が疲弊し、燃え尽きる。
最近読んだ心理学の本に(只今私の中で絶賛心理学ドはまり中)
”自己犠牲的献身は強い依存心と表裏一体”(ドイツの哲学者エーリヒ フロム) と書いてあり、
たとえ過去の話とは言え、、ひゃぁーーーーと痛い耳を思わず押さえてしまいました。💦
自分軸で人生を生きて、人生の意味を豊かなものにしようと歩を進めだしたら、
色々と私の考えも変わって来ました。
人を喜ばせる事より、人が嫌がる事をしない、という方が思いやりの度合いが強いかなあ、とか。
とにかく自分発信の、能動的な行為にフォーカスがいくので、内観が習慣づく。
人にああ言われた、こう言われたにはフォーカスが行かない。他人軸ではもうないので。
人は人、自分は自分という境界にうまく線がひけるようになってきたのかも知れません。
不思議なもので、そう生きるようになってなぜか、
人を見抜く力、状況を読み取る力が上がったような気がします。
善悪のジャッジをしなくなって、物事を客観視するその視点が今までより高い位置に行ったからかなあ。。
体幹っていう言葉ありますよね。体を支える中心部。ここを鍛えて、姿勢を保ち、バランスを取るって。それのメンタルバージョンが、きっと心の体幹という意味で自分軸ですね。
朝倉未来さんのように、私と同じ考えの人がいるって、とても励みになったし、
今後も、自分の存在を磨く努力を謙虚に継続していきたいというような心境になりました。
欠点だらけの60点もあるかないかの私ですが、、、
この世にたった一人の私ですから。何点でも価値はあります。
こう書いて自己承認が出来るようになった自分を思うと、いつも頭に浮かぶ言葉。
「人は変われないは嘘。変われる。」
相変わらず支離滅裂な文面を
最後まで貴重な時間を割いてお読み下さり、ありがとうございました。
みなさまの毎日が幸せに過ぎてゆきますように・・・
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